2014/05/14

個人のモチベーションはどこまで必要なのか。

「会社がモチベーションを与えるべきではない。自分で見つけろ。」と、自主性を重んじる傾向が強いと思う。

私も、アルバイトのときに勝手によかれと思って始めた仕事に対して、店長から「社員に許可を取ったのか?」と、自主性を怒られるくらい。待っているだけじゃなくて、自分から働きかけることが大事。仕事は与えられるものではなく、自分で見つけるもの。昔はそう思ってた。

ただ、この会社に来て、そういう自主性だけで片付けられないものもあるな。と思ってきた。

自主性って、モチベーションとも取れる。何か働きかける。GIVEする力。「もっとよくしないな」「自分の力を提供したい」自分の力を最大限に出したい」と思わせる何か。その何かは、個人だけに依存させずに、会社全体で、上司が、先輩が、提供することも必要なんじゃないかな。

わがままな発言かもしれないけど、私は、どこかで評価を求める。気にかけてもらえていることを求めている。常に、でなくていい。それでも、「気にかけている」という気持ちを提供することは必要だとおもう。

もちろん、個人のモチベーションや自主性が前提にあるけど、
そのモチベーションの腰を折る。責任感の腰を折ることを平気でやる。
自主性を求めているクセに、自分なりに考えて良くするためにやったことに対して「そこまでやらなくていい」。とか。
目的をきちんと言わずに、やり方だけを押しつけてきたり。

社風なのか、人なのか、要因はわからないけれど、この会社には「自主性を損なう」何かがある。

「人のせいにするな。自分で変えていけ。」 そういう声も聞こえる。特に同世代から。

その自主性を何回も損なわれてきて、どこまで自主的にやっていけばいいんだろう。
物事や成果物をよくするための叱咤や理不尽なことならいいけれど。人格や自主性を損なう会社に対して、どこまで、自分でモチベーションを保てばいいんだろう。

きっとどこの会社にいても、同じことは起こるんだろうけど。


だからこそ、会社ではなく、自分で目的を持つことが必要と言われるんだろうな。