2012/03/22

すべては一杯のコーヒーから




title:すべては一杯のコーヒーから
author:松田公太
publish:新潮文庫



カフェを起業するのに何が必要かが分かる本
彼が言うのは、「情熱」と「使命」だけれど
実質的な店舗賃貸の保証金とか、店舗選びの通り人調査など
ひとつひとつが一連の作業ではなく
ひとりでもこんな方法があると教えてくれた

中でもおもしろいなと思ったエピソードは
大手B社と焙煎・卸の権利を争ったときに反対意見として論じた内容
「潤沢な資金のある大手にとって、海外ブランドの権利取得はプロジェクトの一環でしかない」ということ

松田さんがおっしゃているように
ハンバーガーではマクドナルドだけが飛び抜けて成功を収めている
ドーナッツではミスタードーナッツとダンキンでは、圧倒的にミスタードーナッツが市民権を得ている
もちろん大手が橋渡しをしても成功しているブランドもある(スターバックスとか)
それでもこのエピソードは「情熱」が勝るということを知らしめてくれる
「社運をかけた」「自分の使命を達成したい」といった自分の命さえもかける意気込み
それが文化の違いも乗り越えて成功を収めるんだろう

スターバックスコーヒージャパンはUSAの輸入だったから
タリーズジャパンもUSAの輸入と思っていたけど違ったみたい

スターバックスジャパンはどっちかというと
使っている豆や機械などはUSAと同じだけど
USAのよい部分を受け継いでいない気がする
タリーズの雰囲気はちょっと押し付けがましくてあまり好みではないけど
このジャパンフレーバーを取り入れた点については心動かされた






ベン&ジェリーのようなプレミアムアイスクリームは、スペシャリティコーヒーと同じく付加価値を売る商品である。味の優劣はともかく、ブランドイメージの確立されていない付加価値商品を大々的に販売しても、日本で成功するのは難しい。(p.30)

広尾の物件に足を運ぶと、場所としては良さそうなのだが、細長い間取りが理想とは言い難かった。とりあえず自分で調査しようと考え、翌日か数日間、道路を挟んで反対側にある「サブウェイ」の2階に陣取った。朝から晩まで、通行人の数を数えるのだ。昼時になると、商売になりそうな数の通行人が歩いている。ただし、時間帯によっては通行人が激減するなど、ブレが大きいのが不安だった。それに学生が多いということは、夏休みや冬休み時期の営業も難しいかもしれない。(p.142)

銀座では、本当に月百数十万円という賃料に見合うのかどうか、張り込んで通行人の数を数えてみようと考えた。晴海通りの反対側に陣取った。現場には朝6時に到着、朝9時から夜9時までは、通りを挟んだビル2回にある喫茶店に入り、窓際の席に居座り続けた。喫茶店では、朝、昼、晩の3回にわたって注文した。(p.146)

通行人を数える際には、男女や年齢別から始まって、サラリーマン、自由業、学生といった分け方、さらには歩いているスピードから判断し、銀座を生活圏にしているかどうかまで、できるだけ細かくデータを取ろうと努めた。また、隣にある「プロント」と「マクドナルド」に入る客数も調べて、時間帯別の入店比率も計算した。(p.147)

企業のプロジェクトに融資する際にも、半分を企業が自前で出すとなると銀行に対する印象が良いのである。(p.152)

月々の家賃が120万円、契約期間は2年。撤退の場合、保証金の2535%が「償却」に回され、戻ってこないということだった。今から考えればその償却率は相場よりも高いものだった。(p.154)

7,000万円という資金は、1号店のオープン前にどんどん消えていった。店舗づくりに2,500万円、厨房設備に500万円、アメリカのタリーズからコーヒー豆やカップ類を購入するのに300万円といった具合である。銀座の保証金の3,000万円、広尾で使った手付金の300万円を引けば、運転資金はほとんど手元に残っていなかった。(p.155)

タリーズで販売する「ダンケンズ」のアイスクリームに「日本冷凍食品検査協会」という特殊法人が待ったをかけた。アイスクリームに含まれる保存料が、輸入禁止となっているというのだ。(p.156)

今度は検査料である。ダンケンズから9種類のフレーバーを輸入したのだが、1種類ごとに約4万円の検査料が必要となるのだ。タリーズではアイスクリーム1個を300円で販売する。約40万円の検査料は、サイドメニューに過ぎないアイスクリームの利益で考えると3,000個以上も売ってやっと回収できる金額だ。(p.156)

カップは、塗料の成分まですべて調べて提出しろ。リッドは、分解して検査するという念の入れようだ。フレンチプレスは、あるパーツだけを50個も寄こせと要求があった。何のために必要かと聞いても「検査が必要だから」の一点張りだった。(p.157)

タリーズUSA20店ほどしかない小さな会社で、マニュアルもほとんどないというのが実態だった。(p.159)

大手チェーンのなかには日本上陸に際し、外国人に無料券を配ってイメージづくりをやることをもあるそうだ。(p.162)

1号店が思うように客が入らない理由は、3つあったと思う。スペシャリティコーヒーというものが、世の中に認知されていなかった。タリーズの知名度の低さ。店舗のつくり。(p.164)

オープン当時は、入り口前のテーブル席を除けば座席は地下の20席だけ。そのため通りから見ると、席がないテイクアウト専門のお店いように映った。「視認性」では、その高価に大きな違いがある。(p.165)

当時の原価率は50%近くに達していた。たった1店舗のために、アメリカから豆やカップを輸入していたから。それに加えて、120万円の家賃、アルバイトフェローに払う給料などを引くと、毎月5060万円の赤字が出た。運転資金の蓄えはほとんどゼロでスタートしている。牛乳業者やパン業者への支払が翌月末という契約だったことで何とか回せてこそいたが、この状況が続けば行き詰まるのは目に見えていた。(p.165)

一級建築士事務所に依頼して、耐震性について調査してもらった。壁に穴をあけても問題なにという調査結果を得て、オーナーを再説得し、撤退する際の「現状復帰」を条件に、店の拡張に合意してくれることになった。(p.220)

拡張する場所の賃料は、月170万円。坪単価はもとの銀座店と同じだが、広い分だけ高くなった。拡張にかかる工事費はなんとか売上からまかなうとして、問題となったのが保証金の5,000万円だった。(p.220)

「タリーズコーヒージャパン」が設立された。資本金の2,700万円は、再び借金して集めたお金で私自身が780万円(29%)、アメリカのタリーズが780万円(29%)、内装を担当してもらっていたA&Pコーディネーターという会社が515万円(19%)、ダンケンズのダン・サムソンが215万円(8%)。他にMVC410万円(15%)を出資した「ジョイントコーポレーション方式」だ。(p.227)

私は協力関係にある企業と一緒に成長していくべきだと思った。また、そうした企業に出資してもらえれば、彼らもタリーズの将来を本気で考えてくれるはずだ。(p.228)

次の2号店は、リピーターを期待できるビジネス街に出すべきだという結論に達した。タリーズは「最高の味にこだわった店」というさらなるブランドビルディングが必要だったが、ビジネス街ならばそういうイメージにぴったりな大人のお客様も期待できる。(p.230)

横浜みとなみらいのショッピングモールからの魅力的なオファーもあったが、ここに出店すれば、数々の有名店と競い合い、「流動客」が主流になってしまう。まだまだブランドとしても確立していないタリーズにとしては、銀座の苦労を繰り返す可能性が高かった。(p.230)

いつもどおり、張り込みから始めた。陣取った場所は、未知を挟んで物件の反対側にあるコーヒーショップ。そこから数日間、通行人を数えてみると、日中でたいたい十分に6070人程度。広尾のときと、ほぼ同じといった感じである。(p.231)

神谷町の家賃は90万円。保証金の1,000万円は、商工中金から融資のめどが立った。(p.232)

タリーズのドイツ銀行グループ店は、同行が入る19階のフロアの一角にオープン。1,500名程度の社員のみを相手にするという初の試みだった。カウンターだけの営業にも関わらず、大勢の来店があった。わたしが推奨する「生活に根ざしたスペシャリティコーヒー」の理想的な形である。(p.234)

神谷町の1日の来店者数は、1,000人〜1,200人。打ち上げは平均で45万円。(p.235)

もっと良い場所、つまり交差点の角に入れる可能性がないかどうか、まずは調べるに違いない。チェーン点の基本中の基本である。(p.236)

神谷町店では、テイクアウトと座席につく人の割合が82と、テイクアウトが多数を占めた。こうした状況を見て、「テイクアウトだけの店が作れないだろうか」と考えた。座席がなければ、家賃や人件費も抑えられる。(p.236)

シアトルを訪れた際にデパートの「ノードストローム」で見た、カート店舗の光景を思い出した。カート店舗には、エスプレッソマシンや水の入ったタンク、バッテリーなどが備えてあったて、バリスタが1人で注文に応じていた。(p.237)

「フランチャイズ経営をしてもらえないか」と提案した。つぶされる前に、むしろこちらからアプローチしようと考えたのだ。初期投資に要する3,000万円という費用がネックになったのだ。給排水や電力確保のための設備や、地下のコンピューター室に対する防水などにコストをかける必要が生じていた。(p.239)

オフィスビル内にあるため、店舗は週末と祝祭日には閉店する。それでもオープンから現在まで、1日の来客数が9001,000人という勢いを持続している。(p.241)

社運を左右するような重大事項は必ず自分が最終決断することの重要性を改めて学んだ。たとえ理論的に正しくても、何かいやな「空気」を感じるものには手を出さない。もちろん、フェローから上がってくる情報は重視し、徹底的に分析は加えるが、理論だけでは決められないことも多いのがビジネスなのである。「カン」に頼って最後の決断を下すというのは、唯一、経営者にだけ与えられた特別な権限だと信じている。(p.245)

通常の店舗では、設計図と施工図を合わせて5ページ程度で済んでいた。(p.247)

第三者割当増資によって資金が得られた。ベンチャーキャピタル数社を中心に、12,000万円。ビジネスでつながるのある会社や大企業の経営者などから52,500万円を調達。(p.249)

株式公開の具体的なメリットは、知名度、信用力、資金、人材、という4つがあった。(p.252)

日本にはアメリカの2大ハンバーガーチェーンが進出したが、「マクドナルド」だけが大成功をして、「バーガーキング」は無惨な撤退に終わっている。その理由はバーガーキングが大手資本と組んで日本に進出を試みたのに対して、マクドナルドは「藤田商店」を率いる藤田田という当時、無名の経営者だった人物に期待しからなのだ。(p.271)

会社の規模では足元にも及ばないが、その分、力の入れようも違った。アメリカ式にはこだわらず、日本独自のアレンジも工夫して加えた。また、フランチャイズ展開にも積極的に乗り出した。大手にとっては数多いプロジェクトの1つでも、ダスキンには社の命運がかかっていたのだ。(p.272)


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