2012/03/11

代官山オトナTSUTAYA計画


title:代官山オトナTSUTAYA計画
author:増田宗昭
publish:復刊ドットコム


海外ドラマや海外映画が好きだから
TSUTAYAは週4日も通ったほど
でもだからといってTSUTAYAのことを知っていたなかったと思った

増田さんがおっしゃるように
DVDや本、音楽からライフスタイルを発見できる
「こんな生き方いいな」「こんな部屋に住みたいな」「こんな友達いいな」とか
そういう理想的な生き方の教科書を見つけられる

「森の中の図書館」
本屋さんだから図書館でもないし
DVDや音楽の購入もレンタルもできるし
代官山だから森の中でもない
でもこのキャッチフレーズがしっくり来る


ターゲットは団塊世代ということだけど
そういったことがちょっと意外だった


「整理」とは、いらないものを捨てるということだ。だから、ゴミが出なければ捨てたことにはならない。そこで求められるのはジャッジする力。一方で、「整頓」とは、そうして残したものに、すぐに取り出せるようにインデックスをつけること。誰でもピックアップすることができるように整えることが「整頓」である。この両者に、モノや情報を入手したときの状態に保つ「メンテナンス」の作業を加えた3つのほかには、オフィスでやるべきことはないと、私はCCCの社員に常々言っている。(p.11)

私は“新規事業”であるとか“世界初の試み”であるとかを目指してはいけない、と常に考えている。そこに陥穽が隠されていると思えるのだ。それらは企画サイドからの勝手な押し付けであって、顧客にとっての価値とは何か、という問いかけが欠けているからだ。企画にとって最も大切なことは、顧客価値の上に立脚することだ。(p.15)

「営業時間を長くすれば、それだけ利益がでるはず」とか「営業時間を長くして、がんばっている姿勢をアピールしよう」とかはすべて、事業者側の身勝手な理屈でしかなく、顧客の価値とはまるで関係のない次元の話ではないか。(p.16) ※理想ではまさにその通りだけれど、この言葉は本音だろうか建前であろうか。

単に「新しいことを創り出してやろう」という姿勢からひねりだされた企画は、まず間違いなく失敗する。“新業態”とか“新発想”とかいった耳障りのいい言葉は、そうしたアプローチに潜む企画側の身勝手さを、覆い隠してしまう危険性も秘めているのだ。(p.17)

「これは世界でも初めての試みですから」という言葉の裏にあるのは、「だから最初は戸惑われても仕方ないでしょう」という言い訳だろう。しかし、顧客にしてみれば、自分にとって快適で価値が高いサービスを求めているだけなのだ。それが新しいか古いかは、さして問題にはならない。(p.17)

汎用性が高く、だから信頼性もある。顧客価値を第一に考えれば、求められているのが円(1店舗でしか使えない)なのか、ドル(多くの店舗で使える)なのかは、誰でもわかったはずだ。その出発点を間違わないでいられるかどうかが、つまり企画の成否の鍵を握っている。(p.24)

“顧客にとっての価値”と“顧客という価値”。このふたつは、いわば鏡に映った像、ひとつのものの両側面だ。だから企業にとって代えがたい価値を持つ顧客という財産を得たいと思えば、その顧客にとって価値あるものを創造して提供するほかはない。鏡に映った自分に何かを差し出してもらおうとすれば、自分が何かを差し出すしかない。ただ鏡の前で漫然と待っていても、相手は何のリアクションも起こしてくれない。(p.28)

それが自分に合うか、それを自分は好きか。その判断を下すためには、基準となるモノサシが必要になる。それを発見することのできる場が、映画であり音楽であり小説であった。人は映画に登場する人物のスタイルに憧れ、ロックの歌詞に表現された世界観に共鳴し、小説の文章にものの考え方や姿勢を学んだ。まず目指すライフスタイルがあり、それを形にしたものとしてファッションはある。私は、レコードやビデオや書籍というモノではなく、そうしたライフスタイルを発見する機会や場を提供したいと考えた。(p.39)

カフェに集う顧客が求めているのは、モノではなくコトなのだ。TSUTAYADVDやそのモノではなく、そこに収録された映画によってそれまで知らなかったライフスタイルに触れてもらうコトを可能にしたのだとすれば、都市の中に点在するカフェとは、一杯のコーヒーというモノではなく、そこでゆったりとした時間を過ごしてもうらコトを提供する場所なのだ。(p.46)

ひとつの空間の中で、表面的、直接的にやりとりされるモノ。その背後で本当に求められているコト。そうした、コトまでを見通す(翻訳する)まなざしの強さが、企画を立てる者には必要になる。(p.47)

分割されることで価値が減じるモノ。共有することで価値が増すコト。(p.48)

人と何かを共有する事から生まれる幸福感という、新しい価値の創造だ。(p.48)

視線だけが関係を作っているというのは、アメリカ人ならコミュニケーションとは呼ばないですよね。でも、カフェの視線っていうのは、エロティックでもあるし、世代も超える。場が視線を交差させる。交差させた向こう側には、リスペクとって要素があったり、血気盛んなときには、勝った負けたがあったり。それが全部混じり合って、場をつくる。(p.58)

編集権の移行がより顕現化するこれからの時代には、店舗スタイルも変えていく必要があるだろう。これまでの店舗は、顧客が来店することを当然の前提といいてきた面もあった。しかし、編集するための素材が、いつでもどこでもネットから取り出せる時代になれば、そうした方法論は用をなさなくなる。人々にわざわざその場所まで足を運んでもらえるだけの魅力創りが、何よりも大切になるのだ。(p.78)

さらに、スタッフ一人ひとりの適応力も、これまで以上に求められる。送り手側が編集しただけのPOPやポスターでは顧客は満足しなくなるかもしれない。そこでは、例えば、CDDVDなどのパッケージソフトとタブレットPCしか置いていない店舗というのも考えられる。顧客はそうした端末を通して、自分に必要な素材を選んでいく。スタッフはその際に有効な助言を与えられる、いわば共同編集者となる必要も出てくるのだ。(p.78)

効率を良くしようと商品在庫を少なくすることは、すなわち顧客価値を小さくすることだ。それは顧客の失望を買い、結果、売上も低下し、だから効率も悪くなってしまう。(p.82)

作品に愛情を注ぐ段であれば、作家や作品を敬愛する気持ちは必ず持っている。そんな人々が、有料であれ無料であれコンテンツは単なる“商材”として見ない事業者の、永続的な顧客となるはずもないのだ。逆にいえば、コンテンツに対してリスペクトを持ち続ける限り、そこにはビジネスに発展する萌芽が必ず見つけられる。(p.88)

優良なコンテンツを囲い込むことが、コンテンツホルダーの本義であるわけではない。作品や作家へのリスペクトがあれば、自然とそのコンテンツを少しでも多くの人に触れてもらう機会を創るように腐心するのではないか。それはそのまま顧客の利益にもつながるのだ。(p.89)

情報につながるのがグーグルであり、人につながるのがツイッターだ。ツイッターが流行するのは、ただ目新しからではない。ユーザーの多くが、だれか自分以外の他者と、今つながっているという感覚を持ちたがっているからだ。それが時代の気分なのだ。(p.94)

アメリカ人はコミュニケーションをシンプル化したわけなんだよ。いろいろな国民がいて、いろんな言語があるから、すごくシンプルなコミュニケーション言語を創った。私はIしかないけど、日本では、私、手前、俺、僕、我が輩、、、いっぱいある。日本人はまずファイルをスキャンして、その中で一番適切な言葉を選んでいる。日本語が持っている、英語では問題にされない多様性がすごいなって思います。アメリカ人のコミュニケーションは、必要最低限のことを伝えたり、知ったりするためのものだったのが、日本人はコミュニケーションのやり取りの中できめ細やかな愉悦を感じるというか。つまり、コミュニケーションの品質が違うということなんですね。(p.105)

企画を立てる際に必要なのは、
1、 どんな顧客に対してビジネスを行うか
2、 どんな商品をその顧客に対して用意するか
3、 その顧客と商品をどういう方法で結びつけるか
という3店しかないのだ。(p.113) ※これでは成功しないと思う。売るのは商品じゃダメだと思う。

魅力のある人々が発電機となって、より若い人々を惹きつける磁力を生み出していくような場とならなければならない。単に商品を並べ、そこを訪れた人々に勝手に選んでもらえればいいという店とは、根本的に異なる性質の空間なのだ。(p.115)

来店客数のフラット化、平準化には、イベントや店舗運営など、まさにソフト面の“企画”に求められるべきものなのだ。駐車場のスペースとは、まさに物理的なハード面での制約として固定化されてしまうもの。曜日や時間によって、それを伸び縮みさせることはできない。とすれば、そこから生じる凸凹をフラット化するのはソフトの力しかない。(p.128)

企画とはすなわり、情報の組み合わせだ。だから、企画に携わる会社は、情報が流れる場所のできるだけ近くにオフィスを置く必要がある。(p.132)

実際の顧客の姿が見えない場所にオフィスを構えれば、“頭”の中で行われる思考レベルは保てても、“皮膚”の感覚の敏感さは損なわれる。結果としてそのオフィスから発信される企画とは、モニターが鳴らず会議室でひねり出されたものへと堕してしまうことになりかねない。(p.133)

人はカフェに流れる時間を味わいに来るのだ。つまり、そこでやり取りされる商品とは、時間なのだ。そして当然だが、時間とは常に表情を変えていく。だから、魅力的なカフェは、常に新鮮な空間なのだ。常に違った商品が提供されているのだから、毎日訪れても飽きることがない。(p.150)

この店舗+カフェ+オフィスの副ボウタイを“ブレインコア”と名付けた。(p.156) ※これ私がやりたいのとおなじ

企画を立てる際には、“守、破、離”というプロセスを踏むようにアドバイスしている。
守:形をまねる、基本を学ぶ
破:一転して、違う形を試してみる
離:これを繰り返し、その積み重ねにより一段上に立つ
(p.173)

森の図書館の企画は、20年以上かけて螺旋状に上昇を続け、真上から見れば同じ縁に位置し、真横から見れば遠く離れた上方に存在する、という構図なのだ。代官山プロジェクトは、私なりの螺旋形思考の帰結だ。(p.174)

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